物産及商工業

  1. 川越市沿革史概要
  2. 総説
  3. 物産及商工業

川越地方に於ける旧幕時代の主要物産は農産物にして、就中米麦を多く産出せり。叉川越名物として、天下に冠たる川越芋は、品質と美味とを以て名高し、叉工業について述ぶれば、織物は川越の特産物として古来より著名なり。

近来芋を利川する菓子ありて各地に産出す。近時工業方面稍々発展し、殊に川越箪笥は今や到る處に販路を拡張して、好評を博せり。

茲に市勢一覧に依り本市の重なる物産の一ヶ年産出高の概要を記せば(昭和七年度市勢一覧に依る)

織物綿絹共 計金七拾九萬四千五百九拾一円
醸造物 計金四拾一萬五千三百八拾六円
工産物 計金三百五拾一萬三千八百九拾六円

内訳

箪笥 七三六、一二〇円
染物 五、〇〇〇
履物 九五、五〇〇
製粉 七九九、三五〇
紡績 一、一三四、四九二
菓子類 八五、二一二
麺類 一五、五〇〇
器械 九五、七五九
其他 五四六、九六三
蠶絲 真綿 計金七拾四萬六千四百拾七円
農産物 計金四拾三萬一千九百一円
畜産物 計金七千円

当川越市を中心として、地方の物産取引行はる、故に各組合、各会社、各工場、問屋及市場等自ら繁栄し、本市に存立する株式会社二十三、合名合資会社十五、産業組合十、織物及其他工場二十三等あり、孰れも盛んなり、隨つて此等商工業の発展に伴つて金融機関の必要あり、現在本市にある銀行は七行にして、此外信用組合の組織をも見るに至れり、又商工業機関として、川越商工会議所(元商業会議所)あり、会議所は明治三十二年に創立を計り、翌三十三年二月十三日農商務大臣の認可を得て、同三十五年川越会舘を設立せし時、郭町に商業会議所を移して、川越商工会議所となり、更に昭和六年十月志義町旧郵便局跡に移転せり。

川越商工会議所議員(昭和七年五月)

製糸業 石川仁平(株式会社石川製糸所代表者)
自転車商 横山重次郎
会社重役 綾部利右衛門(株式会社第八十五銀行代表者)
農蠶具製造業 水村常蔵
材木商 鈴木徳次郎
荒物商 清水友右衛門
酒類商 畑尾源太郎
織物製造業 沼田文次郎
箪笥商 関根栄吉
材木商 鹿戸安太郎
豆腐製造業 市野川松次郎
石炭商 印藤元右衛門
縫物製造業 田中音吉
米穀商 長島清次郎
箪筒、履物商 高橋米吉
魚類商 松本伊助
代理業 小山三省
洋物商 岩崎育太郎
士木建築請負業 印藤順造
呉服太物商 渡辺吉右衛門
米穀商 柴田善兵衛
陶器商 神島瀧蔵
菓子商 山崎嘉七
米穀商 原田要吉
酒類商 木下藤次郎
織物製造業 渋沢長平
書籍商 吉田栄吉
青物商 新井源蔵
薪炭商 横川是哉
小間物商 染谷清四郎

尚叉明治三十一年一月には実業組合を組織したりしが大正十年五月に至り川越商工会と改称せり左に現役員名を掲ぐ。(昭和七年五月現在)

会長 石川仁平
副会長 畑尾源太郎
矢島利三郎
幹事 岩崎育太郎
田中音吉
原田要吉
高橋米吉
清水友右衛門
神島瀧蔵
松本伊助
新井源蔵
木下藤次郎
新井長治
商議員  
第一部 田中音吉
第二部 浅海彌吉
第三部 栗原作次郎
第四部 渡辺吉右衛門
山崎三之助
第五部 原田要吉
第六部 山崎定吉
第七部 伊藤長三郎
第八部 高橋米吉
第九部 清水友右衛門
第十部 神島瀧蔵
第十一部 岩崎育太郎
第十二部 小島助八
第十三部 松崎利平
第十四部 綾部喜右衛門
第十五部 矢島三之助
第十六部 木村萬平
第十七部 松本伊助
第十八部 新井源蔵
越中喜重
市野川松次郎
第十九部 木下藤次郎
第二十部 宮崎豊次郎
第廿一部 印藤元右衛門
第廿二部 勝田作造
第廿三部 町田甚兵衛
第廿四部 小川菊太郎
第廿五部 印藤光五郎
神田庄五郎
鈴木忠太郎
第廿六部 早川茂八
第廿七部 新井長治
顧問 山崎博之
鈴木徳次郎