本市は国道の要路より離れをりしも、交通便利にして、陸路の外、河川を利用し、舟運を以て運輸機関となせり、寛永時代松平伊豆守の各河川を改修し、叉江戸街道を修造せしが如き、当時城下町の商業上に利便を与へて、交通史を飾れるものといふべし。町制時代に至り、各地に新街道を設けしが、就中中仙道に通ずる大宮街道(県道)を新設せり。これは当時国有鉄道本市に敷設せられざりしよりこの県道を新設して、川越、大宮間の連絡を企てしなり、やがてこれが現在の電車を我市に敷設するの動機となりしと云ふ。
県道中の主要道路を挙ぐれば左の十四道なり(県費支弁)
川越、東京道。川越(大宮)浦和道。川越、松山道。川越、(豊岡)青梅道。川越、上尾道。川越、越生道。川越、所沢道。川越、坂戸道。浦和川越道。 川越、児玉道。川越、鴻巣道。川越、秩父道。川越、忍道。川越、志木道。(以上川越案内に依る)
本市は城下町時代には主として地方農家を顧客として、商工業の殷盛を見たりしが、時代の進歩と共に、商業上にも一段の活気を呈するに至り、市を中心地として、販路を拡張して、鉄道、電車、自働車等は各方面に通じて、交通機関の完備を見たり。
即ち
西武線は東京行の外中央線との連絡あり、叉、所沢駅にて武蔵野線との連絡あり。西武大宮線は中仙道線及東北本線の連絡あり、併し乍ら市内に二社三線四駅ありて、地方の人々は却て不便を感ずるものあり、されば一大停車場の設置を望むもの多く、予て懸案となら居る志義町久保町二道路の達成の後、始めて一段の進捗をみるに至らんか、尚叉、省線として、国有鉄道の設置を望んで其運動に着手するものあり、今は茲に交通上の概要をのみ挙げおく。